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執筆者の写真SHUNJI MIYOSHI

選択

小学生の頃、修学旅行があった。

その時はデジカメも無くて、もちろん携帯もなくて、フィルムの一眼レフなんて持ってもなかった。

だから、36枚撮りの写ルンですを買って行ったのを覚えてる。

ガリガリとフィルムを巻いて、ストロボの耳につくチャージオンをいっぱいまで聞いて

出っ張りが赤く光って、撮りたいものを四角の枠におさめてシャッターを押す。それだけの作業なのに

自分が写したいものが写真となって仕上がってるのが不思議と気に入って、それ以降何もなくとも

わりと写ルンですを買った思い出がある。

自分は音楽も出来ないし、絵も下手だし、スポーツも普通だし、そんな中で手軽に自分を表現できる写真というものが気に入ったのかも知れない。

幸いにも友達や自然といった被写体も多くいたし、撮って飾って見るのが好きだった。

そして、中学生くらいの時。

お年玉の使い道を本気で悩んだことがあって、(一度、お年玉のお金をポチ袋から出さずに誤って捨てたこともあった)その時プレステではなくデジカメを電気屋さんで選んだ。

当時のものは150万画素だったけど、僕には十分だったのと、撮った写真がすぐ見え、枚数制限もほぼなく、気に入って毎日持ち歩いていた。

特に好きだったのは夕日の撮影で、学校から帰る時に目的の海辺まで、夕日に間に合うように自転車で追いかけてた。

もちろん、家に帰ってプレステもやってたんだけど。(しばらくして買った)

生きていく中で選択することは結構多い。毎日が選択の連続。

でも、昔から右か左かとか、これとそれとか、どうしてどちらか選ばないといけないのか

どうしてそうなるのか、不思議に思ってた。

もちろん、そんな究極の選択を求められる時ももちろんあるけど

ほぼほぼの選択は優先順位の問題だと思う。

右を選んで、左を選ぶ。

人は思っているよりも多くの物を持てる

2020/05/12 SHUNJI MIYSOSHI

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